なぜ神社にお墓がないの?神社と寺の違いと歴史。仏教、神道、儒教、道教、陰陽道とは…

歴史・文化

神社と寺は何が違う…?

 

 

なんとなく神社と寺は建物の雰囲気が似ているような気もするのですが、

神社にはお墓がなかったりするので、やっぱり違います…

 

 

具体的に、何が違うのでしょうか…?

 

 

 

神社と寺(寺院)の違いとは…?

 

 

まず大きな違いは、信仰(しんこう)〔ある宗教を信じ教えを

自分のよりどころとすること〕する宗教が違います。

 

 

神社は→【神道(しんとう、しんどう)】

 

寺(寺院)は→【仏教(ぶっきょう)】

 

になります。

下鴨神社が、みたらし団子の発祥の地って本当…?

 

 

神道(しんとう、しんどう)と、その歴史について

 

 

神道とは、長い年月をかけて、日本の民俗から自然に誕生した

日本固有〔日本にしかない〕の民族宗教になります。

 

 

そのため、教祖(きょうそ)〔宗教を生み出した人〕がいません。

 

 

 

遡ること縄文時代から弥生時代頃農耕文化〔 農耕生活〕であった

当時の日本人が、自然災害などの驚異に対して、神様の存在というものを

感じ取るようになり、祭りなどを切っ掛けに神道というものが広まった

考えられています。

 

 

その為、神様想像上の人物や生物、自然や動物など様々で、

八百万神(やおよろずのかみ)〔数多くの神々〕と言われます。

 

その後…

 

  • 仏教(ぶっきょう)

〔約2,500年前に、北インド〔現在のネパール〕の実在の人物である釈迦(しゃか)〔本名:ゴータマ・シッダールタ〕が開祖(かいそ)〔宗教で宗派を最初に開いた人〕で、5人の弟子からはじまった宗教。中国の三大宗教の一つ〕

 

  • 儒教(じゅきょう)

〔約2,500年前に、孔子(こうし)〔紀元前552年 ~479年頃〕を始祖(しそ)〔最初に行った人〕とする思考、信仰。中国の三大宗教の一つ〕

 

  • 道教(どうきょう)

〔中国の生活文化を基礎とした、中国固有民族宗教。中国の三大宗教の一つ〕

〔横浜関帝廟(よこはまかんていびょう)〕

 

  • 陰陽道(おんみょうどう)〔中国起源の、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)〔万物は相反する働きに分類され、『木・火・土・金・水』で構成させるとする思想〕に基づいた学派〕

  

〔京都 晴明神社(せいめいじんじゃ)〕

 

 

長い歴史の間に、これらの宗教などと影響を受け合いながら、

現在の神道に至っていると言われています。

 

 

 

神社の名称(神宮、宮、大社、神社、社)と格式について

 

 

神社にはいくつかの社号〔神社の名称〕があるのですが、

 

格式の高い順に、

『 神宮 > 宮 > 大社 > 神社 > 社 』となります。

 

 

  • 神宮(じんぐう)…皇室の祖先神が祀られている。〔伊勢神宮(神宮)、明治神宮など 計24社〕

 

  • (みや)…皇族とゆかりの深い人物が祀られている。〔日光東照宮など〕

 

  • 大社(たいしゃ)…地域で最も大きい神社や、総本社などに付けられる。〔出雲大社、伏見稲荷大社など〕

 

  • 神社(じんじゃ)…一般的な名称。

 

  • (やしろ)…屋代(やしろ)〔神祭りのための仮に作った小屋〕から来た意味で、比較的小さい神社

 

 

神社の数は、全国に約85,000社あるといわれています。

 

 

 

【 神社にお墓がない理由 】

 

ちなみに、神社にお墓がない理由ですが、

 

神道では『穢れ(けがれ)=『気枯れ(けがれ)〔気力が枯渇する〕』

と考えているため、神社〔神様〕の敷地内に枯渇した気力を持ち込まないよう、

葬式もしませんし、お墓もないということなのです。

 

 

 

仏教(ぶっきょう)と、その歴史について

 

 

仏教は、神道と影響を受けあった宗教として先ほども少しでてきましたが、

紀元前五世紀ごろ(今から2,500年ぐらい前)に

北インド釈迦(しゃか)が開いた宗教になります。

 

 

仏教には、神道にない経典(きょうてん)〔仏の教えを記した書物〕

というものが存在し、それは釈迦の教え〔仏の教え〕をまとめたものとなります。

 

 

もともとは北インドから始まった宗教でしたが、すぐにインド全域に広がり、

そこで留まることはなくアジア全域にまで広がっていきます。

 

 

 

日本では、仏教が入ってくるまでは、神道〔八百万神〕を信仰していましたが、

西暦538年頃仏教が外国から伝わってくる〔仏教伝来〕ことにより、

神社(神道)も寺(仏教)も関係なく、現在とは違って

同じ敷地に混じり合いながら建立され、生活に馴染んでいくこととなります。

 

 

 

しかし、長い年月を経て江戸時代に入ると、

神社と寺というものを、分離すべきという考え方が徐々に広まっていき、

明治時代には政府により、神仏分離令(しんぶつはいぜんれい)という

神道と仏教を分離させる命令が出されます。

 

 

 

それは、明治政府が天皇を中心とし、天皇を神格化(しんかくか)

〔絶対的な存在〕するため、そして西洋諸国〔キリスト教〕に追いつくために

神道国教〔国家が保護する宗教〕とする為の政策だったのです。

 

 

 

当時は、全国の神社とお寺は共存していたため、

仏教を排除するために、神社の境内にあるお寺や仏像を破壊してしまう運動

〔廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)〕が数年間に渡って起こりました。

 

 

これにより、古くからある歴史的な文化財など、

寺(寺院)の半数近くが失われた言われています。

 

 

※一説には、江戸時代の制度により、お寺が優遇されていたと同時に、僧侶の汚職などが多くあったといわれており、これに対し民衆からも不満があったそうです。優遇がなく低位とされた神社の神職と民衆によって一気に運動が加速し、多くの寺院が失われたとされています。

 

 

このような国家神道は、第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)※による

神道指令(1945年)〔神道と神社を国家より分離することを指令〕

により廃止されることとなるのですが、現在の仏教に至るまでには

このような複雑な歴史があったということなのです。

 

※GHQ(連合国軍総司令部)とは… 第二次世界大戦後の日本を占領し管理するために、1945年東京〔日比谷の第一生命ビル内〕に設置された最高司令部。

 

 

ちなみに、

 

寺(寺院)数は、全国に約77,000寺あり、

仏教は、世界三大宗教 キリスト教(約20億人以上)、イスラム教(約15億人以上)、

仏教(約5億人以上)〕の一つに数えられています。

 

 

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