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『カレー』はもともと、どこの国の料理…?カレーの歴史について簡単に。

歴史・文化

カレーといったら、やっぱりインド…?



子供が好きな食べ物ランキングでは、いつも上位に君臨する、カレーライスですが、もともと、どこの食べ物だったのでしょうか…?





カレーといったら、インド…?




やはりその通りのようで、カレーの元ととなったのは、インドのスパイスを使った料理からというのは間違いではないようなのですが、もともとインドには、カレーという食べ物は存在しなかったようです…


それは、どういうことなのでしょうか…?

カレーという名がついた理由は諸説あるようなのですが、タミル語〔インドのタミル人の言語〕の

「ソースやタレ」を意味する『カリ(kari)』から転じたというのが今のところ有力説のようです。

そのため、インドではスパイスを使ったスープのような料理全般を指して『カリ』ということだったのです。




18世紀(1772年頃)

イギリス東インド会社〔東洋の貿易を目的に設立されたイギリスの独占的、政治的商業会社〕の社員が、カレーの原料であるスパイス、そしてをインドから持ち帰ったところから始まりました。




それはイギリス王室のメニューになるほどに評判が良かったと言われています。




インドは1858年~1947年までイギリスの植民地※(イギリス領インド帝国)となるのですが、19世紀に入ったころ、インドのカリと呼ばれた料理を作るには、スパイスの調合など複雑で手間が掛かるため、イギリスの食品会社であるクロス・アンド・ブラックウェル社C&B)が手軽に作れるカレー粉を開発します。

植民地(しょくみんち)とは… ある国の政治、経済的支配下に置かれた地域。



それにより、インドのスパイス料理〔カリと米※〕は、徐々にイギリス風にアレンジされ、シチューのようなカレーの煮込み料理として多く食べられるようになっていきます。

※当時、インドの植民地であったベンガル地方(インド東部)では、ナンではなく【ライス+カレー】が主流だったそうです。




そして、大英帝国(イギリス帝国)※として大きい力を持っていた当時のイギリスが、世界中にカレーを広めていくこととなります。

大英帝国(だいえいていこく)とは… イギリス本国とその植民地自治領(じちりょう)※を含めた呼び方。最盛期の19世紀後半~20世紀の前半、特に1920年代には地球上の土地約4分の1(人口の約4分の1)がこれに属した。

自治領(じちりょう)とは… 国家の領域の一部でありながら、広い範囲の自治権(じちけん)〔 その地域内で、自主的に管理する権利〕をもつ領土。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど




日本のカレーライスは…




それでは、日本風のカレーライスはどうやって誕生したのでしょうか…?


江戸時代後期(1859年)

横浜港開港したのですが、そこを出入りする人達よって、カレーというものがあることが日本人に伝わったと言われています。

(横浜市開港記念会館)

日本で最初にビールを飲んだ人は誰…?あの暴れん坊将軍だったかもしれない…?


明治初期(1871年頃)

米国に留学した学者が、インド人が食べているカレーを船上で見たという記録が残っているようなのですが、これが日本人が初めてカレーに出会った日ということになっているそうです。しかし、あまり良い印象ではなく食べてはないようです…




この明治初期には、それまで鎖国(さこく)※をしていた日本も徐々に西洋の物を取り入れるようになり〔文明開化(ぶんめいかいか)〕この頃、イギリスのC&B社のカレー粉も日本に輸入されてきたそうです。

鎖国(さこく)とは…  江戸幕府がキリスト教の禁制のため、外国との交流を極端に取り締まり、国際的な孤立状態なったこと。




さらに、日本では西洋料理を紹介した本によって、カレー粉を使った料理方法が掲載されます。

当時の日本は、鎖国していたことにより、他国と様々な面で力の差を感じていたようで、富国強兵(ふこくきょうへい)〔 国を豊かにし、軍事力を強化する〕を目指していました。

そんな背景も後押しとなり…


明治時代前期(1873年頃)

日本の陸軍幼年学校〔陸軍将校養成のための学校〕では、体の大きい欧米人に負けないよう、日本で問題となっていた栄養面を強化するためにイギリスのカレーがメニューとして取り入れられることになります。

そして、日本海軍でも航海中での長期保存が可能なカレー粉は重宝されたそうです。



明治時代前期(1876年頃)

札幌農学校開校(現:北海道大学)を開校したコメ嫌いで有名だった、クラーク博士〔「少年よ大志を抱け」の人物〕が唯一、カレーライスに関しては進めていたそうで、北海道で豊富にとれる、ジャガイモ人参たまねぎなどを使うカレーライスはこの辺りから始まったそうで、日本独自の食べ方になります。


明治時代後期(1905年)

国産カレー粉も登場し、それまで高級だったカレーも比較的に手に入りやすい価格になったため日本全国に広まっていくこととなります。



『グレイビーボート』ってなに…




ちなみに…

上の写真のような洋食屋などで見かける、カレーのルーが入っている、ランプの精が出てきそうな銀の入れ物の名前ですが、『グレイビーボート』とかソース・ボート』というようです。



元々のイギリスでは、色々なソースを注ぐために使用されたとされるものだったようなのですが、イギリスから日本にカレーが来たいときに一緒に輸入されたため、日本ではカレーの為の器のようになっていると言われています。


 
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