日本を象徴する富士山にも所有者がいる⁉
富士山は、日本を象徴する山として古くから知られていますが、実は富士山には所有者がいるという話を聞くと、多くの人が驚くかもしれません。
富士山は一般的には「国の象徴」として認識されていますが、実際にはある特定の範囲について個人所有が認められています。
では、どの部分が所有され、どのような経緯でそうなっているのか、詳しく見ていきましょう!
富士山の所有の境界
富士山は、山頂から「8合目より上の部分」が私有地とされています。
この所有権を持っているのは、「富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)」という神社です。
この神社は富士山の登山口にあり、静岡県富士宮市を拠点としているのですが、富士山頂を所有しているのには歴史的な背景があります。
なぜ富士山の一部が神社の所有なのか?
この所有関係は江戸時代にまでさかのぼります。
当時の日本では、山や自然は神聖なものと考えられ、特に富士山は「神が宿る山」として崇拝されてきました。
そのため、富士山を神として祀る富士山本宮浅間大社は、富士山と深いつながりを築き、多くの人々から信仰を集めるようになったのです。
こうした背景を受けて、江戸時代初期に初代将軍・徳川家康は、富士山本宮浅間大社に富士山の山頂付近の土地を寄進しました。
それにより、八合目(標高約3,360メートル)から上の部分は浅間大社の所有地となり、この所有権は明治時代以降も引き継がれ、今日に至っています。
富士山の歴史と所有権の始まり
〔徳川家康〕
富士山は、日本の象徴として古くから信仰の対象であり、多くの人々に愛されています。その歴史はとても古く、信仰の場としては1000年以上前から多くの修験者や信者が登っていたとされています。
江戸時代には、富士山周辺に数多くの神社が建てられ、その中でも特に富士山本宮浅間大社が富士山を神聖な山として崇め、保護してきた歴史がある有名な神社だったそうです。
その後も、明治維新や第二次世界大戦後の日本政府の土地整理の中で、多くの私有地が国に移管されましたが、富士山頂の部分は例外的に浅間大社の所有が維持されることになり、現代まで受け継がれてきたのです。
富士山の「八合目」以下は誰が所有している?
富士山頂部分の所有権は富士山本宮浅間大社にありますが、八合目より下の部分については異なります。八合目から下の土地は、基本的に国有地として管理されており、環境省などがその保護や管理を担っています。
富士山は2013年にユネスコの世界文化遺産に登録されて以来、国内外からの登山客が増加しているため、環境保護の観点からも国有地として維持されている部分が多いのです。
しかし、まだ8合目以上の正式な登記手続きが出来ていない…
しかし、実際はまだ静岡県と山梨県の関係市町村が8合目以上の境界確定を行わないため、富士山本宮浅間大社は8合目以上の正式な登記手続き〔権利の登録手続き〕ができないままになっています。
富士山8合目以上の土地は、富士山本宮浅間大社が歴史的に所有しているとされていますが、登記手続きが完了していないために法的な所有権が確定しない状態が続いています。
これは、静岡県と山梨県の県境にまたがっていることから、県や市町村間の境界が曖昧で、関係自治体が境界確定の手続きを進めていないことが原因です。そのため、神社は8合目以上の土地の登記を行うことができず、事実上の所有権はあるものの、法的には曖昧な状態が続いています。
この問題は、行政間の調整が必要であることや、歴史的背景、さらに富士山の象徴的な価値が絡むため、解決が難しいとされています。
また、世界文化遺産に登録されたことで国際的な関心も高まっているため、環境保護や文化的価値を保護するための取り組みも優先され、所有権の明確化が進まない要因の一つとなっています。
8合目より上の観光への影響は?
現在、富士山は世界遺産にも登録され、多くの観光客が訪れる場所ですが、8合目より上の土地の所有が浅間大社にあるからとか、登記の問題があるからといって、特別に制限がかけられているわけではありません。
登山や観光においても通常の国有地と同様に利用することができます。
ただし、富士山本宮浅間大社はこの地を神聖なものとして保つことを重視しており、定期的に清掃活動や環境保護の取り組みを行っています。
また、神社としての役割を果たし、参拝者が神聖な山と接することができるよう、祈りの場や奉納などの行事も大切にしています。
最後に
富士山は「日本国民の山」として親しまれていますが、山頂近くの一部は歴史的経緯により「富士山本宮浅間大社」の所有となっています。
そのため、富士山はただの名勝地としてだけでなく、神聖な場としての役割も保ちながら、観光資源としても活用されているのです。
そして富士山に所有者がいるという事実は、自然と文化が深く結びついた日本独特の価値観を感じさせるものだったのです。