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本初子午線 と 日付変更線 時を超えるライン

生活・食物

『本初子午線』と『日付変更線』について


今回は、『本初子午線(ほんしょしごせん)』と、『日付変更線(国際日付変更線)』についてお話しします。

この2つのラインは、地球上の時間と日付の基準を決める重要な役割をしています。



それでは、さっそく見ていきましょう!

本初子午線(ほんしょしごせん) って何?


本初子午線とは、地球の経度0度を示す基準線となるのですが、経度(けいど)〔地球上の東西の位置を示すための座標〕を測定するための出発点になります。

経度(けいど)・緯度(いど) の違いとは?
  • 経度(けいど)

経度は、地球上の東西の位置を示すための座標(ざひょう)〔特定の地点の位置を示す数値の組み合わせ〕です。地球を縦に分ける線(子午線)に基づいて計測されます。東経(E)と西経(W)に分かれ、0度から180度まであります。

  • 緯度(いど)

緯度は、地球上の南北の位置を示すための座標です。赤道(せきどう)〔地球を南北に分ける基準の線〕を基準にして計測され、北緯(N)と南緯(S)に分かれます。0度(赤道)から90度(北極と南極)まであります。


本初子午線(ほんしょしごせん) の経緯


古代の基準点(子午線)

  • 古代は地中海を中心

    当時の天文学者たちは、経度の基準点として地中海付近のアレクサンドリアロードス(ロドス)島などを使用していたと考えられています。そして、それは航海や地図作成に重要視されていました。


中世の基準点(子午線)

〔パリ天文台〕

  • パリ子午線

    中世ヨーロッパでは、フランスがパリを基準とする子午線を採用しました。パリ子午線は、フランスの天文学者たちが使用し、ヨーロッパの多くの地図に影響を与えました。

  • その他の基準点

    スペインのカディストレドなどの都市も独自の基準点を持っていました。


大航海時代: 共通の基準点が必要となる

  • 航海の発展により世界で共通の基準点が必要となる

    16世紀から18世紀にかけて、大航海時代において正確な経度測定が求められるようになりました。それにより、共通の基準点が必要と考えるようになります。

グリニッジ子午線の誕生

  • イギリスの影響力

    イギリスでは、航海の発展に伴い、ロンドンの『グリニッジ天文台』を基準とするグリニッジ子午線が用いられるようになりました。グリニッジ天文台は1675年に設立され、その後、航海と天文学の中心地となります。

グリニッジ天文台

グリニッジ天文台は、1675年にイギリス国王チャールズ2世によって設立された天文観測所です。ロンドンのグリニッジに位置し、天文学者ジョン・フラムスティードが初代所長を務めました。


グリニッジ子午線の採用(19世紀)

  • 国際子午線会議

    1884年にアメリカのワシントンD.C.で開催された国際子午線会議では、世界各国の代表が集まり、経度0度の基準点を統一することが議論されました。


    会議には25カ国の代表が参加し、多くの国がグリニッジ子午線を基準にすることに同意、グリニッジ子午線が経度0度の基準点として正式に採用されました。


    この決定により、地図や航海、天文学において統一された基準が設けられました。

20世紀

  • グリニッジ標準時(GMT)の使用

    20世紀初頭から中頃にかけて、グリニッジ標準時(GMT)が広く使用されるようになりました。

    そしてGMTは、地球の自転に基づいた時間の基準として、航海や天文学、国際的な取引において重要な役割を果たしました。

協定世界時(UTC)の導入

  • 1960年代

    科学技術の進歩により、原子時計を基にした協定世界時(UTC)が導入されました。UTCは、より高い精度で時間を計測できるため、現代の通信技術やコンピュータシステムにおいて重要な基準となっていきます。

  • 1970年代

    1972年になりGMTは依然として使用されましたが、公式な時間の基準としては協定世界時(UTC)が採用されることになりました。


本初子午線は、古代から中世、そして近代に至るまでさまざまな基準点が使用されてきましたが、1884年の国際子午線会議でイギリスのグリニッジ天文台を通る子午線が正式に採用されました。

その後、グリニッジ標準時(GMT)が広く使用されましたが、現代では協定世界時(UTC)が公式な時間の基準として採用されています。この経緯により、世界中で統一された時間と経度の基準が確立されました。

実は、グリニッジ子午線は約102メートル東にズレていた…

現代の技術で正確な計測をしたところ、グリニッジ子午線が本来あるはずの場所から東に約102mズレてしまっていたことが明らかになりました。※当時の測量技術では地球の形状(若干楕円形)や重力の影響を正確に補正することが困難だったそうです。

しかし、今でもグリニッジ天文台を訪れる観光客は多く、象徴的なグリニッジ子午線をまたいで写真を撮ったり、天文学に関する展示を楽しんでいます。


日付変更線って何?



日付変更線』は、地球上で日付が変わる基準となる線になります。


地図で見ると、太平洋の真ん中を縦に走っている線がその日付境界線になるのですが、

日付変更線の右側()から左側(西)に越えると→ 1日進む

日付変更線の左側(西)から右側()に越えると→ 1日戻る(遅らせる)

という仕組みになっています。




例えば、


日本からハワイに旅行する場合、日付変更線を越えることで1日戻る(遅らせる)ことになります。

逆に、ハワイから日本に帰るときは1日進むことになります。

この日付変更線のラインは180度の経度にほぼ沿っているのですが、国や島々の都合により多少の曲がりがあります。



このように、日付変更線は地球上で異なる時間帯を管理するための重要な役割を果たしています。


日付変更線の経緯


古代の航海と経度

  • 古代の航海

    古代の航海者たちは、東から西へ長距離航行する際に日付の変化を経験しましたが、日付変更線の明確な概念はありませんでした。


  • 経度の理解

    16世紀までに、地球が球体であることが広く認識され経度(子午線)の概念が発展しました。そして経度は地球の東西の位置を示すために使用されるようになります。

マゼランの航海

  • 1522年

    フェルディナンド・マゼランの船隊が初めて世界一周を達成した際に、スペインに戻ると日誌の日付が1日遅れている〔自転に逆らい西に向かったので1日が24時間より日々増えていった〕ことに気づきました。この経験が地球を一周すると日付が変わるという概念の初期の理解につながりました。

地球の自転は東向きに進み、1日の間に360°回転します。地球が360°回転するのにかかる時間は、地球の自転周期の24時間です。
そのため、1時間あたりの回転角度は360° ÷ 24時間 = 15°となります。

これにより、地球上の経度が15°進むと時差は1時間ということになります。経度が東に進むと時計は進み、西に進むと遅れます。


17世紀 – 18世紀

  • 航海術の発展

    長距離航海が一般化するにつれ、船乗りたちは日付の管理に困難を感じるようになりました。経度が地球上の位置を示すために使用される一方で、日付の変化に関する明確な規則はまだありませんでした

グリニッジ子午線の採用

  • 1884年

    国際子午線会議で、グリニッジ天文台を通る経度0度の本初子午線が採用されました。この会議で、地球を東西に分けるための基準が設けられました。
グリニッジ天文台の『赤い球』の役割

グリニッジ天文台の報時球(タイムボール)は、かつて船や時計を調整するために使用されていました。毎日正午に球が落とされ、この瞬間を観測して船の航海計算や時計の修正を行うことができました。

報時球は時間の統一と精度の向上に貢献しましたが、現在では技術の進歩により使用されていません。


日付変更線の正式な設定

  • 19世紀末 – 20世紀初頭

    日付変更線がほぼ経度180度に沿って設定されました。この線を越えると、東から西へ進む場合は1日を加え西から東へ進む場合は1日を減らすというルールが確立されました。

  • 20世紀:日付変更線の調整

    日付変更線は太平洋を通り国際的な標準に基づいて設定されましたが、できるだけ多くの国と島々の国境を考慮して位置が調整されます。そのため日付変更線はジグザグに曲がった線となりました。

    例えば、キリバスは1995年に日付変更線を東に移動させ、国全体が同じ日に属するようになりました。

現在の日付変更線

  • 国際的な認識

    現在、日付変更線は経度180度付近を通っており、一部の地域では地理的な問題や政治的な決定により調整されることがありますがその基本的な役割は変わっていません。

  • タイムゾーン等時帯(とうじたい)〕

    世界各国は、タイムゾーン〔等時帯(とうじたい)〕を設定しており、日付変更線とタイムゾーンの調整により、グローバルな時間管理が行われています。



日付変更線は、地球が球体であることの理解から始まり、長距離航海の経験を通じて発展しました。

また、マゼランの航海で日付の変化が認識され、その後の経度の理解と航海術の発展により、1884年の国際子午線会議で本初子午線が設定されました。

最終的に日付変更線は経度180度付近に沿って設定され、現在でも国際的な時間管理において重要な役割をしています。


『日付変更線』と『本初子午線』の関係と役割のまとめ


日付変更線と本初子午線は、地球の経度を基準にした重要な線で、時間と日付の基準に深く関わっているのは分かりましたが…

ちょっとややこしいので、この2つの関係をできるだけ分かりやすく簡単にまとめてみました。


2つの関係

  1. 経度の基準

    本初子午線は「経度の基準となる0度で、日付変更線は「その反対側(真裏)の180度に位置する。この2つの線は地球の反対側に位置することになる。

  2. 地理的配置

    本初子午線は「ロンドン(グリニッジ)を通り」日付変更線は「太平洋上にある。

  3. 時間と日付の基準

    本初子午線が「時間の基準を設定」し、日付変更線が「日付の変更を設定」する。





この2つの線によって地球を時間と日付の基準に分けているのですが…


本初子午線」を基準とすることで、東経(東回り)と西経(西回り)が定まり、時間の「始まり」としての役割をしています。

そして、180度反対側(真裏)に位置する「日付変更線」の基準を定めることで、日付の切り替え「境界」の役割をしています。



この2つの線があるおかげで、地球上の時間と日付の管理がスムーズに行われています。


日付変更線のちょっと特殊な地域

キリバス


キリバスは33の小さな島々から成る太平洋に位置する島国なのですが、キリバスは日付変更線を越えて広がっているため、以前は東の島にいるか西の島にいるかで日付がことなっていました。


1995年、キリバスは東部の島々も含めた全領土で同じ日にするため、日付変更線を東に移動させます。それにより新年のカウントダウンを真っ先に迎えたい人々にとってキリバスは特別な場所となっています。

サモア


サモアは南太平洋に位置する島国なのですが、日付変更線に関するユニークなエピソードがあります。

サモアは以前、日付変更線の東側に位置しており、主要貿易相手国であるニュージーランドやオーストラリアと比べてほぼ一日遅れていました。この時差はビジネスや貿易などの取引において大きな問題となっていました。


2011年12月29日、サモアは日付変更線を越えて一日進むことを決定、12月30日がカレンダーから消え、12月29日の次の日が12月31日となりました


それによりサモアはニュージーランドやオーストラリアと同じ日付を共有するようになり、ビジネスや旅行がスムーズとなりました。


カレンダー上の一日が消えるというユニークな経験を通じて、この地域の多くの人たちが日付変更線に対する関心を高めたと言われています。

日付変更線を変更するには、国内の決定、国際協議、地図の更新、そして公共への周知という段階を経て行われるそうです。


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