肉食禁止令とは…?
もちろん現在でも宗教などの理由で肉食をしなかったり、自らダイエットなど、からだの理由で肉食を控えている方はいると思いますが、日本国内でなんと約1,200年ものあいだ、肉食タブーの生活が続いていたようなのです。
今では想像もつかないですが、どうしてそんな状況になったのでしょうか…?
肉食禁止令(にくしょくきんしれい)とは、その名のとおりで、天武4年(675年)、第40代天皇である天武天皇(てんむてんのう)が、【 牛、馬、犬、猿、鶏 】の肉を食べることを禁止をした法令になります。
それまでにも、肉食を非難することはあったようですが、これが具体的に法令として発布された日本で初めての肉食の禁止令ということで、日本書紀にも記されているようです。
※日本書紀(にほんしょき)… 720年(奈良時代)に完成した、日本最初の歴史書。神話や歴代天皇について書かれている。
表向きは、仏教の守るべきことの一つである不殺生(ふせっしょう)〔生き物をむやみに殺さないこと〕。
そして、
牛(うし) → 田畑を耕すために働く。
馬(ウマ) → 人などを乗せ移動手段として働く。
犬(いぬ) → 番犬として働く。
猿(サル) → 人に似ている。
鶏(ニワトリ) → 時を知らすため働く。
このような理由だということですが…
この禁止令に関していえば、1年のうち4月1日から9月30日までの農繁期(のうはんき)〔農作業が最も忙しい時期〕のみだけの禁止だったということ、更に、この5種類以外の肉食は普通にできたということだったようなので、実際の理由は農作物に不可欠な牛などの安定的な供給のためと、肉などを食べる贅沢をやめ、しっかり働かさせて税収源(コメ)を増やすためだったのではないかとも言われています。
その後、このような肉食の禁止令は形を変えて幾度となく発布されることとなり、同時に酒も禁止されることが多々ありました。
例えば…
730年 第45代天皇で仏教を深く信仰し、奈良の大仏で有名な聖武天皇(しょうむてんのう)のときには…
【 猪、鹿 なども含め、全ての鳥獣 】の殺生を禁止する殺生禁止令など、
猪(イノシシ) 鹿(しか)
肉食はタブーという文化は徐々に日本国内で根付くようになり、それと同時に中国から伝わった精進料理(しょうじんりょうり)が発展していくことになります。
※精進料理とは… 野菜、海藻、穀類だけを材料とした料理。禅宗(ぜんしゅう)〔仏教の一派〕の僧が、平安時代~鎌倉時代に中国から修得した料理法。
徳川綱吉『生類憐れみの令』
そして、時は大きく流れ江戸時代になると、遂に、肉食にとどめを刺すような事件が起こります…
1685年 江戸幕府第5代将軍 徳川綱吉(とくがわつなよし)により、『生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)』〔極端な動物愛護令の総称〕により、犬猫はもちろん、牛や馬、鳥類、魚類までも対象とした生類(生き物)の殺生禁止令が次々に発布されます。
勿論、それまで以上に動物を狩りすることも、肉を食べることも禁止されることとなります。
日本で最初にビールを飲んだ人は誰…?あの暴れん坊将軍だったかもしれない…?
薬食い(くすりぐい)とは…
ただし、それまで食していたものを簡単に手放すことはなかなかできない民衆、そして一番困ってしまったのは、やはり肉に関わっていたお店などです。
そこで考えだしたのが肉屋から薬屋に変更することでした。
どういうことかというと…
それまでにも滋養強壮(じようきょうそう)〔身体の弱ったところを栄養素で補給し、体質を改善して強い身体をつくること〕として、猪などが売られていたことから、病人や体が疲れてるときなどの滋養(栄養)の薬として、猪や鹿の肉などを食べる【薬食い(くすりぐい)】という方法でお客さんに提供することを考えます。
※このような獣肉を売る店のことを、ももんじ屋などと呼ばれていました。
そして、現在でもその頃の名残がある、昔ながらの料理屋もありますが、隠語(いんご)〔仲間内だけで通じる言葉〕を用いたりもしていました。
例えば、
- 馬の肉→ 桜(サクラ)
- 猪の肉→ 牡丹(ボタン)、山クジラ
- 鹿の肉→ 紅葉(モミジ)
などです。
明治時代 〈 肉食解禁 〉
明治時代に入ると、それまで鎖国(さこく)〔外国との交際がなく、国際的に孤立した状態〕をしていた日本が、外国から遅れをとった分を取りもどすため、西洋の文化を多く取り入れようとします。
そして、日本人はそれまで肉食をタブーとしていたため、タンパク質などの栄養素が足りないことから欧米人と体格にも大きく差が出ていました。
そのようなこともあってか、明治4年(1871年)、明治天皇が先陣を切って自ら肉を口にし、肉好きであることをアピールします。
その出来事は肉食が事実上解禁となったことを表し、675年から続いた肉食タブーの文化は、実に約1,200年ほども続いたのち幕を下ろしたのです。
ちなみに…
ウサギは今でも鳥のように1羽、2羽と数えることがありますが、
肉食禁止令の後でも、鳥類の狩猟に関しては寛容だった時代もあったことから、
耳の長いウサギを鳥に見せかけて持ち帰るため、数え方を同じにしたのではないかともいわれています…