9月15日が敬老の日であった理由
高齢者への敬意を表して、感謝の気持ちや長寿を祝うことを目的として
制定された日になりますが、現在は祝日法の改正※もあり9月第3月曜日を
『敬老の日』とされています。
※【ハッピーマンデー制度】もともとある祝日を月曜日に移動することによって土日月の三連休を増やした制度
【敬老の日はなぜ9月15日だった?】聖徳太子の説①
そして、改正される以前の2002年までは9月15日が『敬老の日』※だったわけですが、
どうして9月の15日になったのでしょうか…?
※現在は法改正され元々の9月15日は「老人の日」という名称になり、9月15日〜21日は「老人週間」となっています
それには、聖徳太子が関係しているという説があります。
日本の第33代天皇である推古天皇(すいこてんのう)の時代の西暦593年に、
摂政(せっしょう)〔天皇に代わって政治を行なう職〕であった
聖徳太子が現在の大阪に四天王寺を建立したのですが、
その際に四箇院(しかいん)の制〔敬田院、施薬院、療病院、悲田院〕というものを
設けたと伝えられています。
この4つの院のうち、老人や病人、身寄りのない人などの社会福祉事業のために
つくった施設が『悲田院(ひでんいん)※』という場所だったと言われているのですが、
その悲田院が建立されたのが9月15日と言い伝えられているそうです。
余りにも古い話のため、実際のところ本当にそのような施設がつくられたかどうか
定かではないようなのですが… 伝説となっています。
※『悲田』とは仏教用語で、身寄りのない孤児や貧しかったり、病気などで哀れみを受けるべき人のことをいうそうです
【敬老の日はなぜ9月15日だった?】養老の滝の説②
日本の第44代天皇である元正天皇(げんしょうてんのう)が、
現在の岐阜県にある『養老の滝(ようろうのたき)』に行ったのが、
西暦717年の9月15日であったから、という説もあります。
養老の滝の伝説というものがあるのですが、それによりますと…
ある場所に、貧しい年老いた父とその息子が住んでいたようなのですが、
その息子はとても親孝行な木こりで、その年老いた父の面倒もみていたそうです。
余りにも生活が貧しかったため、その息子は滝を見ながら
「あの水が父が飲みたがっている酒ならば…」と思ったそのとき、
足を滑らせ崖から転げ落ち意識を失ってしまったそうです。
しばらくして、意識を取り戻したその息子は、何やらどことなく湧き出る
酒の香りに気付いたそうなのですが、その水をなめてみると、なんと本物の酒
だったのです。
「これは天のお恵みだ…」と、ひょうたんにぶら下げて持ち帰り、父に飲ませて
あげました。
そしたら、病弱だった父親が何故だか若返ったように元気になったそうな…
時の天皇であった元正天皇にもその噂話がはいり、
慈悲深い女性天皇で知られる元正天皇はその滝に訪れ『養老の滝』と命名、
そして元号も『養老』と改めたと言われています。
『敬老の日』の由来と歴史
敬老の日の起源は【としよりの日】の『敬老会』
( 多可町余暇休暇村)
敬老の日はもともと兵庫県の多可町〔当時の多可郡野間谷村〕の村長が、
1947年(昭和22年)に、9月15日を【としよりの日】と定め『敬老会』を
開いたことが始まりといわれています。
それは当時、終戦間近だったということもあり、お年寄りを励ますためであったり、
お年寄りを敬い、知恵を頂くという意味があったと言われています。
※9月の中旬は、農閑期(のうかんき)〔1年のうち農作業が暇な時期〕でもあり、気候も良いというのも9月15日に行われた理由の一つとされています。
【としよりの日】は兵庫県全域へと広がる
このようにもともと多可町〔当時の多可郡野間谷村〕から始まったこの日が
徐々に県内にも広がっていき、1950年(昭和25年)には兵庫県として
【としよりの日】が制定されるようになります。
【としよりの日】は中央社会福祉協議会でも提唱される
そして翌年の1951年(昭和26年)には全国社会福祉協議会〔当時の中央社会福祉協議会〕
でも定められ、全国へ広める運動もはじまります。
※全国社会福祉協議会… 社会福祉の活動のために組織された団体
【としよりの日】は全国へ広まり『敬老の日』となる
1954年(昭和29年)には全国で【としよりの日】として制定され、
1964年(昭和39年)には『老人の日』に名称を改められます。
そして、
1966年(昭和41年)には国民の祝日である『敬老の日』として制定されます。
このように一つの村からはじまった、お年寄りへの感謝の気持ちが、
日本全国へと広まり、祝日にまで発展していくことになったのです…
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