なぜ北海道は県ではなく「道」?

「北海道は“県”ではなく“道”と呼ばれるのはなぜ?」
日本の地理を勉強したとき、誰もが一度は疑問に思うポイントですよね。実はその背景には、歴史的な事情と行政区分の特殊性が深く関わっています。
今回は、北海道が「県」ではなく「道」と呼ばれる理由を、分かりやすく解説していきます!
北海道は「県」と同じ扱いの地方公共団体

〔北海道庁旧本庁舎〕
まず押さえておきたいのは、北海道は法律上「県」と同じ位置づけだということ。
都道府県の一つとして扱われ、県と同じように知事や議会が存在しています。
つまり名前は違っても役割や権限は “県” と同じなのです。
なぜ「道」と呼ばれるのか?

〔明治期の北海道庁舎〕
① 明治時代に生まれた新しい地名だった

江戸時代までは「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれていましたが、1869年、明治政府が本格的に開拓を始めるにあたり「北海道」という新しい名前が付けられました。
このとき「東海道」「山陽道」などの古い行政区分(五畿七道)にならい、“道” という名称が採用されたのです。
五畿七道(ごきしちどう)とは?
日本の古代(飛鳥時代~奈良時代ごろ)に整えられた律令制の地方区分のことです。
中央政府(大和朝廷)が全国を効率よく統治するために定めました。
「五畿(ごき)」とは?

都(京都)を中心とした5つの国のこと。〔五畿=首都の周辺〕
- 畿内(きない)とも呼ばれ、政治・文化の中心地でした。
- 山城(やましろ)、大和(やまと)、河内(かわち)、和泉(いずみ)、摂津(せっつ)の5つになります。
「七道(しちどう)」とは?

畿内の外を大きく分けた7つの地方区分で、それぞれに幹線道路(駅路)が通じていました。〔七道=全国を結ぶ主要ルートごとの区分〕
- 東海道(とうかいどう)
- 東山道(とうさんどう)
- 北陸道(ほくりくどう)
- 山陰道(さんいんどう)
- 山陽道(さんようどう)
- 南海道(なんかいどう)
- 西海道(さいかいどう)
現代の「近畿」「東海道新幹線」などの地名にもつながっています。
② 広大な土地だったため一つにまとめた

北海道は日本全体の約22%を占める広大な地域です。
もし他の府県と同じように複数の「県」に分けてしまうと、管理が複雑になりすぎるおそれがありました。
そこで、ひとつの大きな単位として「道」とまとめる方が合理的だったのです。
③ もともとは「開拓使」の管轄だった

〔1873-1879年の庁舎 – 北海道開拓の村(外観再現)〕
1870年代の北海道は、府や県のように分けられず、「開拓使」という特別な役所が直接統治していました。
一時的に開拓使を廃止して、札幌・函館・根室に「県」が置かれたこともありましたが、土地が広すぎ人口も少なかったため非効率でした。
やがて3県を廃止して統合され「北海道庁」が設置、ここで「北海道庁がある“道”」という呼び方が定着したのです。
開拓使(かいたくし)とは?

〔開拓使長官 鍋島直正(初代) 〕
開拓使とは、明治政府が北海道の開発と統治を行うために設置した役所のことです。
- 設置時期:1869年(明治2年)
- 役割
- 北海道(当時は「蝦夷地」)の本格的な開発
- 開墾・農業の振興
- 交通や港の整備
- ロシアなど外国からの防衛拠点としての機能
- 拠点:札幌本府(現在の札幌市)
背景
江戸時代末期、ロシアが北方に勢力を伸ばしていたため、日本も「蝦夷地」を本格的に統治・開発する必要がありました。
明治新政府は、蝦夷地を「北海道」と改称し、開拓を進めるために「開拓使」を設けました。
北海道の名称と行政の変遷(年表)
年代 | 出来事 | ポイント |
---|---|---|
1869年(明治2年) | 明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称。開拓使を設置して直接統治。 | 「道」という呼称が採用される。昔の「五畿七道」の名残を引き継いだ唯一の地域。 |
1882年(明治15年) | 開拓使が廃止され、北海道を「函館県・札幌県・根室県」の3県に分割。 | 一時的に「県」として運営された時期。 |
1886年(明治19年) | 3県を廃止し、「北海道庁」を設置。 | 北海道が一つの行政区域として確立。 |
1947年(昭和22年) | 日本国憲法・地方自治法の施行。全国が「都・道・府・県」で統一。 | 北海道庁はそのまま存続し、正式に「道」として現在に至る。 |
まとめ:北海道は県ではないけど県と同じ!

北海道が「県」ではなく「道」と呼ばれる理由は、大きく3つあります。
- 明治政府が、かつての行政区分「道」に倣って名付けたため
- 広大な土地を効率的にまとめるために「道」としたため
- 北海道庁という特別な行政機関が置かれていたため
呼び方は特別ですが、実際の役割や仕組みは県とほぼ同じです。
むしろ、北海道ならではの歴史を色濃く映し出した名前だと言えるでしょう!

