音階「ドレミファソラシド」:音楽の歴史に潜む意外なルーツ
皆さんが音楽の授業などでよく耳にする「ドレミファソラシド」。これらの音階は、音楽の基礎として身近なものですが、その起源をご存じですか…?
実はこの「ドレミファソラシド」、もともとは音階として生まれたのではなくラテン語の詩の一部から生まれたものなのです。
ラテン語は古代ローマで使われた言語で、多くのヨーロッパ言語の基盤となっている。
では、どうして詩が音階になったのか? その背景を詳しく見ていきましょう!
起源はイタリアの音楽家グイド・ダレッツォ
「ドレミファソラシド」を音階として定着させたのは、今からおよそ1,000年前、11世紀のイタリアの音楽家であり修道士でもあったグイド・ダレッツォです。
グイド・ダレッツォは、中世ヨーロッパで音楽教育の発展に貢献し、革新的な変化をもたらした人物なのですが、それまでの音楽指導はすべて暗記に頼る方法が主流で、歌を覚えるには非常に多くの労力が必要でした。
そこで、グイドは効率的な音楽教育のために、新しい「音の記号体系」を考案しました。このシステムが現在の「ドレミファソラシド」の基礎となるものになります。
そして、この音階の元になったのが、ラテン語の賛歌「ウト・クエアント・ラクシス(Ut queant laxis)」だったのです。
「ドレミ」はラテン語の詩から誕生
このラテン語の賛歌は、聖ヨハネを讃える信仰的な歌詞でした。
そして、その詩の冒頭部分は音楽の6つの音を表す形で書かれており、それぞれ異なる音の高さで歌われています。
以下がその詩の一部です。
Ut queant laxis
Resonare fibris
Mira gestorum
Famuli tuorum
Solve polluti
Labii reatum
- 「Ut」 → 今の「ド」
- 「Re」 → 今の「レ」
- 「Mi」 → 今の「ミ」
- 「Fa」 → 今の「ファ」
- 「Sol」 → 今の「ソ」
- 「La」 → 今の「ラ」
このように、フレーズの頭文字が、各音階の名前になったのです。
元々「ドレミファソラシド」の「ド」に当たる音は「Ut(ウト)」と呼ばれていたのですが、「Ut」という発音が歌いにくいという理由で、17世紀にイタリアの音楽理論家ジョヴァンニ・バッティスタ・ドニが「Ut」を「Do(ド)」に変更しました。
〔ジョヴァンニ・バッティスタ・ドニ (Giovanni Battista Doni)〕
そのため、この「Do」は、ドニ自身の名前に由来しているとも言われています。
ところで、「シ(Si)」はどこからきたの…?
当時、「シ(Si)」は存在しておらず、6音のみ(六音音階)で構成されていました。
ルネサンス期以降〔音楽の調性と和声が発展した時代〕、音楽がより複雑になるにつれて7音目が必要となりました。
そこで、賛歌の最後の歌詞「Sancte Iohannes(聖ヨハネ)」の頭文字「S」と「I」を取って「Si」と名付けられました。
このようにして、現在私たちが使う「ドレミファソラシド」の形が完成したのです。
なぜ、詩が音階に結びついたのか?
〔「グイードの手」と呼ばれる音階の教育法の一例〕
この詩が音階に使われた理由は、覚えやすさにありました。
当時の音楽教育では、音の高さを正確に理解し、歌えるようになることが重要でした。
しかし文字だけでは音を学ぶのが難しく、耳で覚えるための工夫が必要だったのです。そこで、グイドはこの詩の音の進行を利用し、音階の基準として取り入れました。
この方法により、音楽学習が劇的に効率化され、多くの人が短期間で音楽を習得できるようになったのです。
ドレミファソラシドは音楽の共通言語
グイドのアイデアはヨーロッパ中に広まり、「ドレミファソラシド」は音楽教育の基本として定着しました。
このシステムは現代でもクラシック音楽や合唱、ピアノ、ギターなどの楽器、さらには音楽理論の基本として広く使われています。
音楽の基礎といえば当たり前のように「ドレミファソラシド」と答えますが、そこには中世の詩や音楽家たちの工夫があったのです。
日常の音楽の中に隠された歴史
普段何気なく使っている「ドレミファソラシド」という音階。その背後には、中世ヨーロッパの文化や音楽教育の進化が深く関わっていました。
この話を知ると、「ドレミ」の音を奏でるたびに、少し中世ヨーロッパの風を感じられるかもしれませんね。
音楽の歴史って、本当に奥深いです!