時計が右回りの理由
時計を見たとき、針が右回りに動いていることに気づきますよね。
でも、なぜ時計は右回りなのか考えたことありますか…?
このシンプルな疑問には、実は長い歴史的背景があるようです。この独特な動きが私たちの日常生活にどのように根付いてきたのか、少し掘り下げてみましょう!
太陽の動きと日時計の影響
〔古代エジプトの日時計〕
時計の歴史を遡ると、時計が右回りの理由としてまず考えられるのが「日時計」です。
日時計は、太陽の影を利用して時間を計るものなのですが、紀元前3000年頃の古代エジプトでは既に使用されていたと考えられています。
古代エジプトやメソポタミアなどの北半球では、太陽は東から西〔向かって左から右〕に、南側の空を移動します。そのため、日時計の影も東側から西側へと動きます。
つまり、時計の針が12時から始まって、右回りに進んでいくのは太陽の動きを模倣しているのです。
この動きが、現在の時計回り(右回り)の方向の原型となったと考えられています。
南半球の日時計と時計回り
南半球では、太陽は東から西〔向かって右から左〕に、北側の空を移動します。そのため、南半球の日時計の影も北半球とは逆〔現在でいう反時計回り〕に動きます。しかし、その後の時計の発展もヨーロッパなどの北半球で起こったため、南半球の人々も北半球の時計回りに合わせていくことになります。
水時計
〔初期の水時計。底に小さな穴を開けて水が流れ出ることでその時間を計測する仕組み〕
次に登場するのは「水時計」です。
水時計は一定の速度で水が流れる仕組みを利用した時計になるのですが、古代エジプトやバビロニアで誕生し、古代ギリシャなどで更に進化したと考えられています。
日時計とは違い、夜間や曇りの日でも時間を知ることができるため重宝されたと言われています。
〔古代ギリシャ 紀元前3世紀の水時計〕
機械式時計の誕生
最初の機械式時計が作られたのは13世紀のヨーロッパです。
中世に入ると時計は大きな進化を遂げたのですが、歯車やおもりを使って時間を計るものになり、これらの初期の機械式時計も日時計の影響を受けて設計されます。
ヨーロッパは北半球に位置するため、日時計の影が現在の時計回り(右回り)で動くのと同様に、機械式時計も同じ方向に進むように作られました。
当時の人々にとって右回りの動きは既に日常的なものだったため、時計の針も自然と右回りが受け入れられたのです。
これらの時計は、大聖堂や町の広場に設置され正確な時間を示す役割を果たしました。当時は主に祈りの時間を計るために使用していたとされています。
これが現代の時計の原型となります。
ソールズベリー大聖堂の時計:世界最古の現役時計
イギリスのソールズベリー大聖堂には、世界最古の現役時計の一つとされる機械式時計があります。この時計は1386年に設置され現在も稼働しています。この時計は文字盤がなく鐘を鳴らして時間を知らせる仕組みとなっています。
時計の標準化
19世紀に入り、産業革命とともに時計の製造技術が進化して時計が一般家庭に普及しました。
そして、世界がますますグローバル化する中で、特にスイスやドイツ、イギリスなどの時計製造業が主導する形で時計設計の標準化が進みます。
更に、国際的な通信や交通の発展に伴い、時間の測定方法も統一される必要がありました。結果として、右回り〔現在の時計回り〕の方向は国際的に標準化され、現在に至るまで使用されています。
まとめ
特定の時期に、時計が右回りに世界で統一されたという明確な出来事はありませんが、古代の日時計の影響や、中世からの機械式時計の普及を通じて自然に右回りが標準となります。
そして、産業革命以降の時計製造技術の進化と標準化によって、右回りが世界的に定着しました。
自然の観察から生まれた日時計のようなデザインが、長い歴史のなかで現在の時計になったのですが、そう考えると普段当たり前のように見ている時計というものが、なんだか新鮮にも感じてしまいますね!