千円札の「北里柴三郎」と「野口英世」の関係とは?


日本の医学史に名を刻む二人の偉人、北里柴三郎(1853年生まれ)と野口英世(1876年生まれ)。
それぞれ異なる分野で活躍し、医学の発展に多大な貢献をしました。しかし、実はこの二人には深いつながりがあり、その業績は日本だけでなく、世界中に影響を与え続けています。
今回は、北里柴三郎と野口英世がどのようにして日本の医学を革新し、またどのような形でつながっていたのかを詳しくご紹介します!
北里柴三郎(きたざと しばさぶろう)—日本の細菌学の父

まずは北里柴三郎氏の経歴から見ていきましょう!
明治時代の日本で、細菌学という分野を確立した人物として知られています。その功績は、日本における細菌学の発展だけでなく、医学の近代化にも大きく貢献しました。
特に有名なのは、破傷風(はしょうふう)の血清療法です。北里柴三郎はドイツのロベルト・コッホ〔近代細菌学の父〕の研究室で学び、その影響を受けて細菌学の技術を習得しました。

〔ロベルト・コッホ〕
そして、同じくドイツのエミール・ベーリングと共同で、破傷風の血清療法を確立。これにより、破傷風に対する画期的な治療法が生まれ、多くの命が救われることとなりました。

〔エミール・ベーリング〕
破傷風とは?

〔破傷風による筋肉の発作で苦しむ人の絵。最悪の場合背骨が折れることもある。〕
破傷風は、破傷風菌の毒素によって引き起こされる筋肉のけいれんや硬直を伴う感染症です。発症すると命に関わることが多いため、早期の治療と予防が重要となります。
破傷風の血清療法とは?

〔破傷風菌〕
破傷風に感染した動物に免疫を持つ動物の血清を投与することで、毒素を中和できることを発見しました。この研究により、破傷風の治療法が確立され、人類の感染症対策に大きく貢献しました。
また、北里柴三郎は免疫学や細菌学の発展に大きく貢献し、その業績は世界的にも高く評価されています。そして、設立した北里研究所や伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)は、今でも日本の医学研究の重要な拠点となっています。
野口英世(のぐち ひでよ)—細菌学とウイルス学のパイオニア

次に登場するのは、野口英世氏です。
北里柴三郎と同じく医学の世界に大きな足跡を残した人物ですが、専門は主に細菌学でした。
日本を代表する細菌学者であり、アフリカを含む世界各国で黄熱病(おうねつびょう)や梅毒(ばいどく)などの病原体の研究に従事しました。
黄熱病とは?

〔ネッタイシマカ〕
黄熱病は、蚊が媒介するウイルスによって引き起こされる急性の熱帯病〔主に熱帯・亜熱帯地域で発生〕で、肝臓や腎臓に影響を与え、黄疸(おうだん)〔皮膚や白目が黄色くなる症状〕や出血を伴うことがあります。そして、治療が遅れると、命に関わるリスクが高くなります。
梅毒とは?

〔梅毒トレポネーマ〕
梅毒は、梅毒トレポネーマという細菌が感染することで発症し、皮膚や粘膜、全身の臓器に影響を及ぼす性感染症です。進行してしますと、心臓や神経系に深刻な障害を引き起こし、最終的には致命的な状況に至ることもあります。
特に、野口英世は黄熱病の研究は世界的に有名で、その研究成果により国際的に評価されました。
黄熱病の原因を細菌(スピロヘータ)であると誤認しており、実際の原因がウイルスであることは後に別の研究者によって明らかにされます。しかし、野口英世が行った実験と観察、そして、その研究を続ける姿勢は後の研究者たちにとって貴重な基盤となりました。
二人のつながり—医学を進化させた共同の歩み

実は、北里柴三郎と野口英世の間には、一定の交流があったことが知られています。
北里の指導を受けた野口英世
野口英世は、会津若松医学校や済生学舎で医学を学んだ後、北里柴三郎が創設した伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)に助手として勤務しました。
≪会津若松医学校≫
幕末の会津藩が設立した公立の医学校としては日本最古の医学学校。日本の近代医学教育の先駆けとなる機関。
≪済生学舎≫
幕末の薩摩藩により設立。医師を養成するために設立された学校で、近代的な医学知識を学ぶための教育機関でもある。
ここで野口は細菌学の基礎を学び、その後、アメリカに渡りさらなる研究を行うことになります。
北里の研究所で得た細菌学の知識は、後に野口が取り組んだ梅毒や黄熱病などの研究にも影響を与えました。
北里が直接野口を指導したという記録は多く残っていませんが、野口は北里の影響を受けながら研究の道を歩んでいったと言えるでしょう。
終わりに

現在、日本の医学界には北里や野口の精神を受け継いでいる多くの研究者が活動しており、二人が築いた基盤の上で医療技術は大きく進歩し、私たちの健康と命を守ってくれています。
そして、その業績は感染症の予防や治療に大きな影響を与え、世界中の人々の命を救い続けています。
お二人の努力と好奇心は、これからも新しい治療法や予防策の進展に繋がり、医学の未来を明るく照らしていくことでしょう。

