学ランにはなぜ詰襟(つめえり)がある?由来とルーツをわかりやすく解説

歴史と文化の雑学

 

学ランといえば、首元までしっかり閉じた「詰襟(つめえり)」が特徴的ですよね。


でも、なぜ学ランには詰襟がついているのでしょうか?


実はそのルーツは、日本独自の文化ではなく、ヨーロッパの軍服にあるといわれています。


今回は、学ランの詰襟が生まれた理由や歴史、日本で学生服として定着した背景を、わかりやすく解説します!

学ランに詰襟がついた理由【ルーツは軍服】



詰襟の起源は、18世紀のヨーロッパになると言われています。

 

 当時は、軍人の制服として使用されており、この詰襟があるおかげで、前をしっかり向く効果があり男らしさを象徴、首との隙間が少ないため防寒の役目、そして、防護服〔接近戦や銃などから首を守る役目〕としての機能を持ち合わせていたということです。

 

なぜ日本の学生服として定着したのか

〔学習院本館(1915年)〕

 明治時代~

〔東京帝国大学(1903年から1904年に撮影)〕



日本では明治時代に入ってから、学習院〔戦前は皇族や華族の教育機関〕や、東京帝国大学〔現在の東京大学〕で詰襟の制服が導入されたそうで、これを皮切りに、詰襟の制服が学生以外でも軍服や官僚なども着用するほど、全国に広まっていきます。

 

大正時代~昭和時代



大正時代に入ってからも詰襟の制服の人口は更に増えていたのですが、昭和の時代に入り、第2次世界大戦の真っ只中になると、国民服令公布されたため、『国民服』〔簡素化を目的とした服〕が目立つようになります。




強制ではなかったのですが、学生の通学服に指定されたこともあって、詰襟の制服の姿が徐々に減っていってしまいます…

 

 

戦後~ 『詰襟制服』はボロかくし、そして『カラー』はダミー

 

しかし、戦後になると金銭的な事情などから着る服も統一感がなくなっていったものの、詰襟の制服は一役買ってくれます。

 

復興とともに学校の数も増え、学生服の人口は増えていったのですが、やはり貧富の差が大きいのも現実でした。

 

 そんなとき、この詰襟の制服は、中に着ている服装がどんなものでも、外見からは分からない利点がありました。

 

中はボロボロでも大丈夫です。




そして、更に正装といわれる白の襟付きを着ているように見せるために、『カラー』というものまで登場し、戦後の大変だった時代の日本国民にとって重要な役割を果たしてくれたのです…

 

 

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